日本はよく村社会だと言われます。
村社会とは内側での繋がりが強くプライバシーとかお構いない感じの家族的な結束力はある一方で、
閉鎖的で排他的で保守的な、よくない言葉として使われていますよね。
前職の学校だって村社会の象徴みたいなもんでした。イジメとか隠したがりますからね。
障害者の社会もかなり村社会だなと改めて思いました。
以前、障害者の就業支援施設で働いていたときのことです。
そこでは、金曜日はクッキーを焼いて売っていました。
売り先は近所にある市役所、市民体育館、公民館、そして大手スーパーの特設会場でした。
各売り場に20個ずつ、スーパーは40個で100個作って、1個200円で売ってました。
作るのに職員と利用者合わせて10人、売る人も含めると15人ほどの人が関わっています。
前日から材料揃えて、当日朝形成して焼いて、午後に販売して、一日がかりです。
それで1日の売り上げが2万円。売れ残ったら100円で買い取りますので、2万円を下回ることもあります。
一人当たり日給1000円です。
そして、結局買ってくれる人も施設の利用者、市役所の決まった職員、スーパーでは利用者の家族が主でした。
施設にとってはその売り上げは利益に与しません。
でも、毎月の運営はギリギリで、利用者の作業に見合った給料は払えてませんでした。
だから、私はミーティングで言いました。
もっとたくさんクッキー売って、クッキー以外の物も作って売って黒字目指しましょうと。
そこで言われたのが「黒字にしたら補助金減るやんからあかん」
だったら、もっとたくさんクッキー作って、色々なところで売って、施設の活動を宣伝しましょう。と提案しました。
「いや、100個作ればええねん。うちはあくまで作業所やねんから。宣伝なんかせんでも利用者増えてるから」
年に何回かお祭りがあり、そこでクッキー以外の物も売っていました。
そのお祭りというのも、小学校の納涼祭、子ども会のクリスマス会、福祉団体の出品会、自治会の文化祭といった小規模の身内だけの会でした。
それが悪いと言うわけではないですが、売る相手は子どもかお年寄りまたは同じような障害者なんですよね。
子どもは買いませんので、ほぼほぼ内輪でのプレゼント交換みたいなもんでした。
そんなもんなのかって思ってやりすごしていましたが、
自分たちでもっと作りたいもの作って、売りたいものを売るってできないものかと憤っていました。
ミーティングでも基本は「去年と同じ内容で」なんですよね。無
難といえばそうなんですが、二言目には「補助金が止められる」ですから、どこを見て仕事をしていたんでしょうね。
村社会なんですね。村から出ようとしない。
就労支援と言いながら、彼らは一般人と同じには働けないから、ここで作業さしたってる感があったなと、今なら思います。
思い切ったことしても売れなければ意味ないですからね。
ただ当時も、障害者の方に社会に貢献できる自信を持ってもらうためにも外に発信していくべきだって思っていました。
共生ってそういうことじゃないのかって。
でもできませんでした。言えませんでした。そんなもんなんやって諦めてました。
今日の授業で、先生が「障害者同士でやってるだけじゃ社会復帰はできひん。やるなら一般人と同じ土俵に立たな意味がない」って
力説されてるのを見て、私は当時の憤りを思い出すとともに、間違ってなかったと安堵しました。