149日目 ひきこもり

ひきこもりと社会的入院は同じなのではないか。

ひきこもりとは、社会に適応できず自宅にこもっている状態。

社会的入院は、社会が受け入れる体制が整っていないため退院できない状態。

前者は同居の家族が、後者は病因が面倒を見ますが、

否定的な言い方をすると、どちらも「甘やかしている」とみることができるといえます。

そこにいてもいいという安心感と、外に出ることが怖いという不安がひきこもりを促しているということです。

世間の風潮として、引きこもっているのは善くない、外に出ることが健全という思い込みがあるため、引きこもってしまった本人も初めは「このままではダメだ、早く外に出ないと」という気持ちがあります。

周りは、「今は無理せず休んだ方がいい、いつか気が向いて出てくるだろう」と待ちの姿勢を取るか、

「ここが正念場やから、もう少し頑張ってみろ」と励ましながらも、半ば無理やり外に出そうとするパターンで対応します。

どちらも根底には「ひきこもり=悪、外に出る=普通」という考えです。

ただ、残念なことにどちらのパターンをとっても、多くのひきこもりは出てきません。

待ちの姿勢では、ご飯の支度などの本人の身の回りの世話を家族がします。その心地よさに甘えてなかなか出てこないでしょう。だってひきこもってる方が楽なのですから。

無理やり引っ張り出す場合、本人は反発して余計にひきこもります。それでもさらに無理強いすると暴れだしたり家を飛び出して警察のお世話になることもありえます。

どちらにしても、引きこもる選択肢を選んだ時点でひきこもる選択肢しかないのです。

そして次第に「こうなったのは家族のせいだ、学校のせいだ、社会のせいだ、あいつのせいだ」と責任転嫁していきます。社会も「本人が一番つらい、周りが助けてあげないと」と、社会的責任を後押しします。

となると、本人が「ひきこもらない・外出する」という選択肢を手にするまで待つしかありません。

お手上げです。

ただ、まったくのお手上げかというと、そうではありません。

「甘やかさない」という条件を付けることで、本人が自らの選択肢を獲得する可能性が高まります。

何も提供しない。部屋という居場所だけは提供するけど、家事や食事の提供はしないという約束をひきこもり初期にかわします。初期対応が肝心です。

「本来なら家賃を請求するべきだが、それは勘弁してやる。しかし何もしないのであれば、こちらもなにもしない。何か食べたければ自分で調達しなさい。一緒に食べるのであればつくることもできるが、言ってもらわないとわからないから、前もって伝えなさい。お金に関しては・・・」

というような契約を初期にしておくことで、安全な場所という安心感を与えつつ、自分で何とかしなければならない責任感も植え付けておきます。

上から目線口調で書いていますが、初めから下手に出すぎると甘えにつながりやすいので、自分で判断できる状態であれば、安心安全を担保して自立を促すスタンスが理想です。

まだ「このままひきこもるのは善くない」と思っている最初に契約することが肝です。

誰かのせいにしている状態で、責任感の話をすると「見捨てられた」と勘違いして逆上しやすくなります。

ひきこもり沼の深みにはまっていくにつれ、本人の心の距離が周囲と乖離していきます。

どっぷりと全身が沼に沈んでいる場合、助けようとする周囲も引きずり込まれる危険があるので、本人の自立を促すのも手遅れです。逆上されます。

初期のうち片足が浸りかけた時点で、沼に落ちないように家族が全力で手を引いて止めにかかる。

中期の下半身が沼に落ちている状況であれば、周囲を巻き込んでみんなで引き揚げようとします。ただ、本人が望んでいない場合は最後通告的な契約をするラストチャンスになるでしょう。そして最後通告をしたからには、本人に対しては「信じて見守る」しかありません。周囲に対しては戻ってきたときのための外堀を埋めておきましょう。

賛否あることは承知の記事でした。

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